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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2436号 判決

控訴人

白土茂

控訴人

瑞商株式会社

右代表者

白土茂

控訴人

泰明製薬株式会社

右代表者

白土茂

右三名訴訟代理人

安達幸衛

高木善種

佐々木敏行

雪入益見

大山美智子

山下義則

被控訴人

汐見信

被控訴人

汐見きみ

被控訴人

清水喜久子

右三名訴訟代理人

松尾翼

古谷明一

長濱隆

中根洋一

高木右門

主文

一  原判決主文第一、二項を次のように変更する。

1  控訴人白土茂は、被控訴人らに対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。

2  控訴人瑞商株式会社及び同泰明製薬株式会社は、被控訴人らに対し、それぞれ前項記載の建物から退去して同項記載の土地を明け渡せ。

二  当審における訴訟費用は、控訴人らの連帯負担とする。

事実

第一  被控訴人らは、主文同旨の判決を求め、控訴人らは、請求棄却の判決を求めた(被控訴人らは、当審において、原判決事実第一の一に摘示のような将来給付の訴えを右のような現在給付の訴えに交換的に変更し、控訴人らはこれに同意した。)。

第二  当事者の主張

一  被控訴人らの請求原因

1  別紙物件目録(一)の冒頭に記載の宅地342.28平方メートル(以下「一一番四土地」という。)は、もと被控訴人らの先代訴外汐見儀兵衛の所有であつたが、同人が昭和三二年八月四日死亡し(以下同人を「亡儀兵衛」という。)、被控訴人らが共同して相続したので、一一番四土地は被控訴人らの共同所有である。

2  被控訴人らと控訴人白土茂(以下「控訴人白土」という。)との間には、従前から、一一番四土地のうち、別紙図面で斜線を施した部分に当たる91.17平方メートル、すなわち別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)の賃貸借関係の存否につき紛争があつたが、被控訴人汐見信(以下「被控訴人信」という。)が被控訴人らの選定当事者となつて控訴人白土に対して提起した東京地方裁判所昭和四二年(ワ)第一〇二九九号建物収去土地明渡請求事件において、昭和四五年七月一八日、被控訴人信と控訴人白土との間に、次のような内容を含む裁判上の和解(以下「本件裁判上和解」ということがある。)が成立した。

(一) 被控訴人信(選定者である被控訴人汐見きみ(以下「被控訴人きみ」という。)及び同清水喜久子(以下「被控訴人喜久子」という。)を含む。)と控訴人白土との間において、控訴人白土が被控訴人らに対して本件土地につき普通建物の所有を目的とする賃借権を有することを確認する(以下右確認に係る賃貸借契約を「本件土地賃貸借契約」という。)。

(二) 本件土地賃貸借契約の残存期間は、昭和五一年九月一四日までとする。

3  控訴人白土は、本件土地上に別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有することによつて本件土地を占有しており、控訴人瑞商株式会社(以下「控訴人瑞商」ということがある。)及び同泰明製薬株式会社(以下「控訴人泰明製薬」ということがある。)は、いずれも本件建物を占有使用することによつて本件土地を占有している。

4  本件土地賃貸借契約の存続期間は、昭和五一年九月一四日の経過によつて満了し、本件土地についての控訴人白土の借地権は消滅した。

5  よつて被控訴人らは、控訴人白土に対し、本件土地賃貸借契約の終了に基づき、本件建物の収去による本件土地の明渡しを、その余の控訴人らに対し、本件土地の所有権に基づき、本件建物からの退去による本件土地の明渡しを求める。

二  請求原因に対する控訴人らの認否

請求原因の1ないし4の事実は、すべて認める。

三  控訴人らの抗弁

1  被控訴人らは、本件裁判上和解によつて終了した訴訟事件において、予備的請求として、本訴と全く同一の理由により借地法に基づく更新拒絶の主張をして本件土地の明渡しを求めていた。控訴人白土は本件裁判上和解に応じ、被控訴人らに示談金一五万円を支払い、賃料の値上げを認めたのであるが、被控訴人らは再度同一の請求原因によつて本訴を提起した。従つて、本訴は二重訴訟にも比すべきものであり、その請求は信義誠実の原則に反し許されないというべきである。

2  控訴人白土は、同控訴人と被控訴人らとの間の本件土地賃貸借契約の存続期間終了の前である昭和五一年九月七日に、被控訴人らに対し、その旨記載した同日付準備書面を交付することにより、本件土地賃貸借契約の更新を求める旨の意思表示をした。本件土地上に控訴人白土所有の本件建物が存在することはいうまでもない。

よつて、被控訴人らと控訴人白土との間の本件土地賃貸借契約は、同月一四日の経過によつてその存続期間満了と同時に借地法第四条第一項本文の規定により、更新されたものである。

3  控訴人瑞商株式会社及び同泰明製薬株式会社は、いずれも、控訴人白土が代表取締役をしている会社であつて、同控訴人の意思に基づいて本件建物を占有使用しているものである。

四  抗弁に対する被控訴人らの認否

1  抗弁1は争う。

2  抗弁2第一項の事実は認めるが、同第二項の主張は争う。

3  抗弁3の事実は認める。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1ないし4(本件土地の所有関係、本件賃貸借契約関係、本件建物の所有・占有関係及び右契約存続期間満了等)の事実は、当事者間に争いがない。

二抗弁について判断する。

1  抗弁1(本訴請求の信義誠実原則違反の主張)について

〈証拠〉によれば、本件裁判上和解によつて終了した訴訟において被控訴人信は、本件土地賃貸借契約の終了を予備的請求の原因として主張したことが認められるが、同号証によれば、右請求の原因の主張は、本件土地賃貸借契約が本件裁判上和解成立前の昭和四三年一〇月二一日をもつて期間満了によつて消滅したことを理由とするものであつて、本訴請求の原因とは終了の日時を異にするものであり、本訴は本件裁判上和解によつて定められた存続期間の満了を理由とするものであるから、被控訴人らが本訴でこれを主張することは何ら信義誠実の原則に反するものではない。従つて控訴人らの抗弁1の主張は失当である。

2  抗弁2(法定更新の主張)について

(一)  抗弁2第一項(控訴人白土の更新請求等)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  再抗弁事実中、被控訴人らがその主張のごとく更新拒絶の意思表示をしたことについては、当事者間に争いがないので、それについて正当の事由があつたか否かについて検討する。

判旨(1) 被控訴人らの本件土地自己使用の必要性について

ⅰ 〈証拠〉によれば、被控訴人らの先祖は、江戸時代から代々薬種商をしていたものであり、亡儀兵衛の先代である汐見弥助は、明治の中期に、日本橋本町において薬種卸しを営んでいたものであること、亡儀兵衛は戦前、おはぐろの「かめぶし」製造販売本舗として、日本橋横山町の①の土地に店を構えて営業していたが、昭和一四年に戦時下の禁止令によつて営業を廃止したこと、亡儀兵衛は、終戦後は、健康上の理由から、自ら薬種商を営むことはなかつたが、被控訴人信(大正一五年六月一七日生)は、汐見家の家業を復興することを考えて旧制東京薬学専門学校に入学し、昭和二二年三月に同校を卒業して薬剤師の資格を得たこと、当時亡儀兵衛が日本橋本町に所有していた土地は、いずれも他に賃貸中かあるいは借地人との間の貸借関係に問題があり、同被控訴人が同校卒業後直ちに日本橋本町で医薬品販売業を営むことはできない事情にあつたので、同被控訴人は、同校卒業と同時に公務員として厚生省に入り、国立衛生試験所に勤務することになつたこと、その後同被控訴人は、本省に移り、薬務局で勤務していたが、普通の慣例に従えば、同被控訴人が欲する限り、同被控訴人は満五五才に達する昭和五六年までは公務員として勤務することが可能であつたこと、しかし同被控訴人は、かねてより、しかるべき時期に公務員を退職して、日本橋本町で薬品卸販売業を営み、祖父伝来の家業を再興したいとの念願を抱いていたものであつて、本件裁判上和解をした際、和解条項所定の本件土地賃貸借契約所定の残存期間満了と同時に控訴人白土から本件土地の返還を受け、それまでに公務員を退職して、本件土地を利用して右念願を果たしたいと考えていたものであること、しかるところ控訴人白土が昭和四六年九月に被控訴人らを相手方として、東京地方裁判所に対して、本件土地賃貸借契約における土地使用目的を普通建物所有から堅固建物所有に借地条件を変更する裁判の申立て(同裁判所昭和四六年(借チ)第三七号事件。以下「前記借地非訴事件」というときは、右事件をいう。)をしたので、被控訴人らは、右申立てを争うと共に昭和四七年一一月一五日同裁判所に、将来給付の訴えとしての本件訴え(ただし、当審で訴えの交換的変更がなされた以前のもの)を提起し、同年一二月一九日同裁判所から、前記借地非訟事件の手続中止の決定を得、さらに控訴人白土から本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了と同時に直ちに本件土地の返還を受けるとの前提のもとに本件土地に五階建てビルを新築する計画を立て、昭和四八年一〇月一九日第一勧業銀行横山町支店からビル建築資金として金五〇〇〇万円を融資してもらうことについての承諾を得、念願の医薬品卸販売業を右ビルを社屋として株式会社形態で営むことをもくろみ、同月三〇日に右会社設立のための発起人会の準備会を開いて右会社設立の準備を開始し、昭和四九年四月三〇日に発起人会(発起人は、被控訴人ら三名のほか四名)を開催して、医薬品卸販売その他を目的とする汐見薬品株式会社の設立を決議し、被控訴人信が発起人総代になつて右会社設立の準備を進め、本件訴訟が当審に係属した後である昭和五一年六月一八日に被控訴人ら及びその家族の全額出資によつて、本店所在地を東京都中央区日本橋本町四丁目一一番地、発行済株式総数一万株、資本の額五〇〇万円の右会社を設立し、その取締役に被控訴人きみ、同喜久子、訴外清水武良(被控訴人喜久子の夫)、同汐見美江子(被控訴人信の妻)が、代表取締役に被控訴人きみが、監査役に訴外馬場昭一が就任したこと、被控訴人信は昭和四六年一〇月厚生省の本省関連人事により埼玉県に出向し、じ来同県衛生部薬務課長として勤務していたものであつて、汐見薬品設立当時なお公務員として在職中であつたので、汐見薬品の役員に就任しなかつたものであるが、同被控訴人は、遅くとも昭和五一年五月までには埼玉県及び厚生省の上司又は人事担当官に対して、本件土地賃貸借契約所定の前示残存期間満了までに退職したい旨の意向を表明していたものであつて、遅くとも本件土地賃貸借契約所定の前示残存期間満了の時点では、同被控訴人が昭和五二年三月末日に埼玉県を退職し、そのころ厚生省に復職したうえ、同省も退職することに決まつていたものであり(実際にも、被控訴人は右のとおりに退職した。)、同被控訴人は公務員を退職した暁には、汐見薬品の代表取締役に就任し、その中核となつて働き、人生後半の生活生計のすべてを汐見薬品にかけるつもりでいたものであつて、被控訴人きみ、同喜久子は固より、汐見薬品のその余の役員もそのことに何ら異存がなく、これを当然のこととしていたことが認められる。右認定に反する証拠はない。

ⅱ 〈証拠〉によれば、本件土地の存する日本橋本町一帯は、江戸時代初期に町割りが行なわれた際、薬品問屋の組合がこの地に割り当てられて以来、薬品問屋街として発展してきた地域であつて、第二次大戦末期の戦災によつて一時的に離散したことはあつたが、戦後もまた、右日本橋本町、日本橋室町、山手線の外側にこれらの区域と隣接する神田一帯がそのような地域として形成されるようになつて、昭和四八年当時で、東京都医薬品卸協同組合の組合員六四名の約半数がこの地域に本店又は営業所を有しており、また、武田薬品工業株式会社、三共製薬株式会社等の大規模な薬品メーカーもこの地域に販売部門を置いていること、かように日本橋本町一帯に医薬品卸商ないし医薬品メーカーの販売部門が集中するのは、それにより小売商に対して商品の安定供給が可能となり、また小売業者から需要量の少ない薬品の注文があつた場合にも、卸商の間で有無融通し合つて顧客の要望に応えることができるという利益を有するためであり、他方、顧客となる地方小売業者に対する関係では、この地域に店舗を持つことにより強い信用力を持つことができ、医薬品卸販売業を営む者がこの地域内で営業することは、営業上極めて有利であることを認めることができる。右認定を覆すに足りる証拠はない。右に認定したところによれば、被控訴人らが本件土地の所在する日本橋本町に強い執着をもつのは、その目的とする営業の種類からして、特に、約三〇年にわたる薬剤関係の公務に従事したうえ、今後汐見薬品の中心として活躍しようとしている被控訴人信の立場からすれば、もつともといわなければならない。

ⅲ 被控訴人ら又はその親族が、別紙被控訴人ら所有不動産目録記載の土地、建物を所有していることは、当事者間に争いがない。そこで、本件土地以外の場所で被控訴人らが汐見薬品によつてその企図する医薬品卸販売業を営むことができるか否かを検討してみる。

(ⅰ) 旧森本借地について

⑦の土地の一部で、本件建物の東側一軒を隔てた、現在駐車場として使用されている旧森本借地は、その面積が二八坪(92.561平方メートル)あり、本件土地のそれとほぼ相等しいことは当事者間に争いなく、これによれば、被控訴人らが旧森本借地を使用することができるのであれば、ここで汐見薬品によつてその企図する医薬品卸販売業を営みうることは明らかである。ところで旧森本借地は、森本庸充が亡儀兵衛から借地して油脂関係の卸商を営む有限会社森本庸充商店を営んでいた土地であることは当事者間に争いなく、〈証拠〉によれば、被控訴人らは、森本庸充が昭和三七年四月三〇日に死亡した後の同年一二月ころ、森本庸充の相続人の一人である訴外森本愛の代理人訴外伊藤久男から旧森本借地の返還を受け、それと同時にその地上にあつた木造瓦葺二階建て店舗二棟(以下「旧森本借地上建物」という。)の譲渡を受け、その後、旧森本借地上建物を、清水武良の経営する株式会社松商に倉庫として使用させたり、荻野幸正に倉庫として貸したりしていたが、昭和四七年一月ころ、⑦の土地の東側に隣接する東京都中央区日本橋本町四丁目一一番二の土地(当時の所有者は、訴外荻野惣次郎。以下「荻野惣次郎所有地」という。)及び⑦の土地の一部(旧森本借地の東側に接する部分二〇坪であつて、当時、株式会社いかやビルの代表取締役でもあつた右荻野惣次郎が被控訴人らから賃借していた部分。以下「荻野惣次郎借地」という。)を敷地として、信越ビルと通称する地下一階付六階建てビルを所有し、貸室業等を営んでいた株式会社いかやビルの専務取締役であつた荻野幸正から、「こんど信越ビルの一部を社会調査研究所に賃貸することになつたが、同社の自動車置場として使用するため、旧森本借地を貸してほしい。私は亡儀兵衛から、将来、旧森本借地をビル用地として貸していただくことについて承諾を得ている。」との申込みを受けたので、荻野が権利金として金二〇〇万円を支払うことを条件にこれを承諾することにし、そのころ、被控訴人信名義をもつて荻野との間で旧森本借地につき、使用目的を当分の間は自動車置場とするが将来は堅固な建物の所有とし、賃料月額二〇万円、期間三〇年の賃貸借契約を締結し、その際、双方の合意により、被控訴人らにおいて森本の相続人から旧森本借地の返還を受けた直後にこれを荻野に貸したような形をとつて右契約の契約書(甲第四八号証。なお、甲第七〇号証参照)の作成日付も昭和三八年二月一日としたこと、なお、亡儀兵衛の生前に、荻野は、森本と共に被控訴人信も同席するところで、亡儀兵衛と前記荻野惣次郎借地及び旧森本借地の将来の利用方法について話し合い、その結果、借地人側で右両借地にまたがるビルを建て、これを借地人、貸地人双方が利用するという合意に達し、その覚書まで作成したが、その後の事情によつて右合意に添うビル建築は実現できず、昭和三四年四月四日に設立された株式会社いかやビルが、昭和三六年二月に前記荻野惣次郎有地と荻野惣次郎借地とを敷地として単独で信越ビルを建築してしまつたので右合意は少なくとも黙示的な合意解除により失効していたものであり、被控訴人らとしては荻野の前記申込みを承諾しなければならない義務を負つていたものではないこと、旧森本借地についての右賃貸借契約を締結したころ、荻野は社会調査研究所の顧問に就任し、同社から月額五万円の顧問料をもらうことになつたこと、荻野は同年四月ころ被控訴人らに対し右権利金二〇〇万円を支払つたが、社会調査研究所から右のように顧問料をもらうことになつたため、そのほかに金二〇万円以上の自動車置場使用料をもらいにくくなつた同人が、旧森本借地の賃借人として被控訴人らに賃料を支払う代わりに、社会調査研究所をしてその支払うべき自動車置場使用料を直接に被控訴人らに支払わせる方法として、被控訴人喜久子と社会調査研究所との間に、社会調査研究所が被控訴人喜久子から旧森本借地を自動車置場として、賃料月額二〇万円、期間二年の約で借り受ける旨の賃貸借契約を締結させたこと、被控訴人喜久子が右賃貸借契約の名義人になつたのは、同被控訴人が⑦の土地の一部にある⑨の建物に居住していた関係上、被控訴人らが日本橋本町に所有する土地の借地人らからの賃料取立てを同被控訴人が担当していたというだけの理由によるものであること、ところがそのころ被控訴人らは荻野に対して被控訴人らと荻野との間の旧森本借地についての前記賃貸借契約につき権利金としてさらに金五〇万円を支払うよう要求し、旧森本借地上建物の取り壊しを渋つたので荻野もやむなくその支払を約したこと、それで被控訴人らは、同年八月九日ようやく旧森本借地上建物を取り壊して旧森本借地を荻野に明け渡したこと、そこで荻野は旧森本借地に鉄骨造りの車庫を建ててこれを自動車置場としたうえ、これを社会調査研究所に使用させたこと、荻野は同年一〇月ころ、被控訴人らに約束どおり権利金追加分として金五〇万円を支払つたこと、被控訴人喜久子と社会調査研究所との間の旧森本借地の賃貸借契約は、その後、昭和四九年四月一日に期間二年として更新され、さらに昭和五一年四月一日に期間二年として更新されたので本件賃貸借契約の前示残存期間満了の時点ではこれがなお存続していたこと、以上の事実が認められる。

前示甲第四八号証、第六九号証すなわち被控訴人信と荻野との間の旧森本借地についての土地賃貸借契約の契約書の記載によると、右契約は、堅固建物の所有を目的として、期間は契約の日より三〇年昭和六八年一月三一日まで、賃料月額一万二〇四〇円の約で昭和三八年二月一日に締結されたことになつており、また、右証人は、右契約の締結は、昭和三八年であつて、同年四月ころ被控訴人らに権利金二〇〇万円を支払い、その後さらに要求されて同年一〇月ころ権利金追加分として五〇万円を支払つた旨証言する。しかしながら、旧森本借地上建物を被控訴人らが取り壊したのが昭和四七年八月九日であることは、〈証拠〉によつて明らかのところ(〈反証排斥略〉)、少なくとも昭和四六年一二月以前において、荻野が被控訴人らに対して旧森本借地上建物を収去して旧森本借地を明け渡すよう要求した形跡はなく、ただバラックのような右建物を被控訴人らから借りてこれを倉庫として利用したことのあることが右証言によつて窺われるだけであるが、荻野が右契約書の記載又は右証言のとおりに、被控訴人らから旧森本借地を賃借し、かつ高額の権利金を支払つたことが仮に真実であるとするならば、同人の昭和三八年二月一日以降九年近くもの長期にわたる右のような不作為は、特段の事情の認められない限り、全く不可解というほかないものであり、荻野が右建物を被控訴人らから借りてこれを倉庫として利用したことがあるという事実は未だもつて右特段の事情となすに足りず、ほかに右特段の事情のあつたものと認むべき証拠はない。このことと前示証人が、被控訴人らと荻野との間の旧森本借地の賃貸借契約の契約書では旧森本借地を何に使用するかはうたつていない(当審証言)、右契約締結に際し、荻野としては、将来、旧森本借地を信越ビル拡張部分の敷地として利用したいと考えてはいたが、当分の間は、これを信越ビル入居者のための駐車場として利用するため、これを賃借したものである(原審証言)旨証言していること、原審における被控訴人信の第一回本人尋問における、右契約締結の時期についての同被控訴人の供述が極めて曖昧であることに照らすと、前示甲第四八号証、第六九号証の記載中、被控訴人信と荻野との間の旧森本借地についての土地賃貸借契約が昭和三八年二月一日に締結されたようになつている部分、右契約における土地使用目的があたかも堅固建物の所有のみを目的とするものであるかのごとき記載部分は真実に合致していないものと認められ、従つてまた右記載中の右契約における賃料月額一万二〇四〇円という記載部分も真実に合致しないものと推認され、前示証人の証言中、右契約の締結が昭和三八年である旨の部分及び被控訴人らに対して権利金(追加分を含む。)を支払つたのが同年である旨の部分は措信できない。原審及び当審における被控訴人信本人尋問の結果中、第一項に判示の事実に反する部分は措信しない。ほかに第一項に判示の事実認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、荻野が、本件土地賃貸借契約における前示残存期間満了の時点までにはもちろん今日に至るまで旧森本借地上にビルを建築していないことは弁論の全趣旨によつて明らかであるが、被控訴人らと荻野との間の旧森本借地についての賃貸借契約が、前判示のとおり、昭和四七年一月ころ、当分の間、旧森本借地を自動車置場として使用することを目的として締結されたものである以上、荻野が前述のごとく旧森本借地上にビルを建築しないからといつて直ちに同人に右契約所定の用法違反があるとはいえず、被控訴人らがそれを理由に右契約を解除することはできないものといわなければならない。

以上認定のとおりなので、たとえ被控訴人喜久子と社会調査研究所との間の旧森本借地の賃貸借契約が本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了後程なく終了すべきものであつたとしても(現実には、右契約は、昭和五三年四月一日にさらに期間二年として更新されたうえ、同年九月三〇日に合意解除された。)、旧森本借地については、少なくとも昭和六八年一月三一日までは、荻野と被控訴人信との間に締結された前記賃貸借契約が存続するものと認められるので、被控訴人らが本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点においては固より、右満了後、程なくして旧森本借地を使用できる可能性はなかつたものといわざるを得ない。

(ⅱ) ⑨の建物並びに⑦、⑧の土地のうち本件土地、旧森本借地及び⑨の建物敷地以外の部分について

先ず、⑨の建物については、〈証拠〉によれば、⑨の建物は、⑦の土地の南西部分の上に存し、本件土地賃貸借契約における前示残存期間満了の時点において、その所有者清水武良と被控訴人喜久子がその子ら二名と共に居住していたものであること、右建物及びその敷地の面積は一〇坪程度しかなく、狭あいであり、また右建物の面する道路の幅員は約四メートルにすぎないため、商品運搬車による荷物の積下ろしが不便であり、⑨の建物で被控訴人らの意図する薬品卸販売業を営業することは、全く不可能とは言えないまでも極めて困難であることが認められる。右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、控訴人らは、被控訴人喜久子一家は、遅くとも昭和五三年一〇月一二日ころまでに⑨の建物から日本橋横山町に転居し、⑨の建物は、現在空家になつている旨主張するが、仮に右主張のとおりの事実があるとしても、それは本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了後二年余を経てからのことであるから、これを正当事由の存否判定のための事情として斟酌しうるか否か問題であるのみならず、仮にこの点が肯定でき、かつ右主張の事実が認められるとしても、⑨の建物ないしその敷地の前示の面積、右建物の面する道路幅員が増加したと認むべき証拠はないから、被控訴人らが⑨の建物でその意図する薬品卸販売業を営むことは依然として極めて困難といわざるを得ない。

なお、⑦、⑧の土地のうち、本件土地、旧森本借地及び⑨の建物敷地を除いた部分は、被控訴人らにおいて、松下平雄ほか五名に建物所有の目的で賃貸しており、その賃借人は、いずれも当該賃借地上に所有の建物をその営業の本拠又は居住の用に供したり、その一部を他に賃貸したりしているが、これら賃借人らについては、本件土地賃貸借契約についての前示残存期間満了の時点において被控訴人らとの間に紛争がなく、被控訴人らにおいて当該賃貸借契約を解除して当該賃借地の明渡しを求めることは不可能であつたものであり、現在も同様であることは、原審(第一回)における被控訴人信本人の供述及び弁論の全趣旨に徴して明らかである。

(ⅲ) ①の土地及び②の建物について

〈証拠〉によれば、被控訴人ら所有の①の土地及び②の建物は、本件土地から約一キロメートル前後離れた場所にあるが、昭和三三年ころより、前記清水武良が代表取締役となつて経営する株式会社松商が繊維問屋を営んでいた(三階は、被控訴人きみの居住部分)ため、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において、被控訴人らが右土地、建物で、新たに医薬品卸販売業を開業する余地はなかつたものであり、現状でも同様であること、①の土地を利用してビルを建築しこれを共用することが可能であるとしても、日本橋横山町の地域は、もともと古くから繊維問屋街として発達してきたため、被控訴人らの目的とする医薬品卸販売業を営むには地域の特性を全く異にしていて営業に不適であること、なお、亡儀兵衛が①の土地で製造、販売を営んでいたおはぐろは、厳密には化粧品の系統に属し、医薬品ではないことが認められる。右認定に反する証拠はない。

(ⅳ) ③の土地及び④の建物について

〈証拠〉によれば、③の土地及び④の建物は、いわゆる住宅地にあつて、被控訴人信及びその家族の居宅敷地及び居宅となつており、右土地、建物は、被控訴人ら所期の医薬品卸販売業を営むには適さないことが認められる。右認定に反する証拠はない。

(V) ⑤の土地及び⑥の建物並びに⑩、⑪の土地について

〈証拠〉によれば、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において、⑤の土地の一部は一〇数名の者に建物敷地として賃貸され、またその一部にある⑥の建物はアパートであつて、各部屋が他に賃貸されているほか、その余の約六一〇平方メートルの空地部分で被控訴人らは駐車場を営んでいたものであり、⑩及び⑪の土地についても、他に賃貸中であつたものであり、しかも⑤、⑩及び⑪の土地を含む附近一帯は、大部分が工場地帯と、小売り商店街であつて、医薬品卸販売業を営む場所としては、適当でないことが認められる。右認定に反する証拠はない。

(ⅵ) 被控訴人らが株式会社いかやビルからその所有の信越ビルの空室又はその将来の増築部分を借用できる可能性について

株式会社いかやビルが、前記荻野惣次郎所有地(〈証拠〉によれば、右土地については、昭和五一年六月一〇日の売買を原因として、右会社名義に所有権移転登記がなされていることが認められる。)及び⑦の土地の一部である前記荻野惣次郎借地を敷地とする地下一階付六階建ての信越ビルを所有しており、貸室業を営んでいること、荻野幸正が右会社の専務取締役であつて、同人が個人として被控訴人らから⑦の土地の一部である旧森本借地を賃借していることは既に述べたとおりであるが、当審証人荻野幸正の証言によれば、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において、信越ビルの貸室は、すべて他に賃貸中であつて被控訴人らがこれを借用する余地は全くなかつたことが認められ、また右証人の証言及び前示甲第四七号証の記載によれば、株式会社いかやビルが旧森本借地上に信越ビルを増築するには、荻野としてはなお被控訴人らの承諾を得なければならないことになつていることが窺われるので、被控訴人らとしては右承諾を与えることの代償として右増築部分の全部又は一部を右会社から賃借することができなくはないものと推認されるが、株式会社いかやビルが旧森本借地上にいつ信越ビルを増築するかについては具体的な計画が全くないことが窺われるので、被控訴人らに、将来において右のような信越ビル増築部分賃借の可能性が全くないではないにしても、少なくとも本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において被控訴人らに本件土地使用の必要性がなかつたということはできない。

ⅳ ①、③、⑤、⑦、⑧、⑩及び⑪の土地の合計面積が4685.49平方メートルあり、このうち被控訴人ら共有の①、⑤、⑦、⑧、⑩及び⑪の土地の合計面積が4178.82平方メートルあることは計数上明らかであり、その交換価値は莫大なものと推認されるが、当審(第二回)における被控訴人信本人尋問の結果によれば、被控訴人らは、富士綜合コンサルタントという同族会社を設立し、被控訴人の妻汐見美江子をその社長にして、被控訴人ら共有の不動産を管理しているものであつて、昭和五一年当時におけるこれら不動産による地代、家賃の収入は、年額で約一一〇〇万円であつて管理のための必要費は固定資産税、都市計画税などを含めて約七〇〇万円を要し、これを控除した残金四〇〇万円を被控訴人ら三名で平分して取得していたことが認められる。これによれば、被控訴人らが右不動産から得る地代、家賃による純収入は相当大きなものではあるが、しかし少なくとも被控訴人信にとつては、それだけでは、同被控訴人が公務員を退職した後、ほかに稼働することなしに、控訴人らのいうごとく左うちわで暮らしていくのに十分であるとはいえない。仮に控訴人らのいうとおりであるにしても、それによつて直ちに被控訴人らは日本橋本町で医薬品卸販売業を営む必要がないものとは速断できない。

ⅴ 控訴人らは、たとえ汐見薬品が設立され、汐見薬品が本件土地の使用を必要としても、汐見薬品は被控訴人らとは別人格であるから、被控訴人らが本件土地の使用を必要としていることにはならないと主張する。しかし既に認定したごとく、汐見薬品は、被控訴人らが所期の事業を営むため、同人ら及びその家族の全額出資によつて設立されたものであつて、実質上、被控訴人ら個人と同視し得るような会社であるところ、被控訴人らは本件土地上に汐見薬品の社屋として使用すべきビル建築のため、本件土地を必要としているのであるから、たとえ汐見薬品が法律上被控訴人らと別人格であるとしても、被控訴人らが本件土地の使用を必要とするものでないとは言えない。よつて控訴人らの右主張は失当である。

ⅵ 以上認定したところによれば、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において、被控訴人らは、被控訴人信の公務員退職に伴い、日本橋本町において汐見薬品により医薬品卸販売業を営むために本件土地を自ら使用することを必要としていたものというべきである。

もつとも、前認定したところによれば、被控訴人らは、控訴人白土が被控訴人らを相手方として、前記借地非訟事件による借地条件変更の裁判の申立てをした後で、旧森本借地を荻野に賃貸し、これを自ら使用できる可能性を封じてしまつたことになるが、旧森本借地をめぐる関係者間の多年にわたる曲折ある経緯及び被控訴人らと控訴人白土との間の本件土地をめぐる深刻な紛争の経過にかんがみれば、必ずしもそのことが信義誠実の原則に反する所為とも断じ得ないので、これにより直ちに、被控訴人らが被控訴人信の公務員退職に伴い汐見薬品により医薬品卸販売業を営むため日本橋本町に所有の土地としての本件土地を自ら使用することの必要性が低かつたものとはいえない。

(2) 控訴人白土の本件土地継続使用の必要性について

ⅰ 〈証拠〉によれば、控訴人白土(大正四年九月九日生)は、昭和二一年八月下旬に訴外林澄子より本件土地の借地権を譲り受けたとして昭和二二年に本件土地に本件建物を建築し、じ来昭和三二年ころまで本件建物にその家族と共に居住し、昭和三二年ころ都内北区赤羽に住所を移し、さらに昭和三七年ころ練馬区桜台に、さらに昭和三八年ころ新宿区喜久井町に、さらに昭和四五年二月目黒区東山にと順次その住居を移したものであるが、その間、本件建物は一貫して、控訴人白土がその生業として営む会社形態の事業の事務所として使用されてきたものであり、同控訴人がその代表取締役をしている控訴人瑞商も同泰明製薬もかかる会社であつて、控訴人泰明製薬は、医薬品の製造販売を目的として遅くとも昭和三六年六月ころには設立され、昭和四一、二年ころまでは、薬店で一般家庭に販売する栄養剤その他の薬剤を川口市上青木町にある後記の工場で製造し、これを販売していたものであり、控訴人瑞商は、医薬品、化学薬品、工業薬品、食料品等及び鉄鋼品の販売等を目的として、昭和四二年四月五日に設立されたものであつて、いずれも言わば控訴人白土の個人企業のごときものであること、しかし昭和四二年ころ以降、控訴人泰明製薬は休業状態に入り、川口市上青木町にある右工場は電気配線を取り外してしまい、以来、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時まで活動しておらず、操業時代の製品の売れ残りを本件建物に保管していたのみであり、また控訴人瑞商は、その設立以来、現実には、一般家庭向けの栄養剤やメーカー向けのビタミン剤の原料の卸売りを営んでいたこと、ところが控訴人白土は、昭和四六年七月一〇日旅先で重度の狭心症で倒れて入院し、活動ができなくなつたので同月末日をもつて控訴人泰明製薬が厚生大臣より得ていた医薬品の製造承認は失効したままとなり、控訴人瑞商も同年一〇月には医薬品取引がなくなり、同年一一月七日をもつて、東京都知事より得ていた医薬品の一般販売業の許可も失効したままとなり、二人いた従業員も同年末ころまでには退職し、休業状態に陥つたこと、これより先同年九月控訴人白土が被控訴人らを相手方として、東京地方裁判所に対して本件土地賃貸借契約における土地使用目的を普通建物所有から堅固建物所有に借地条件を変更する裁判の申立てをしたことは既に説示したとおりであるが、控訴人白土は、そのころ右申立てが認容されたときは、本件土地上に八階建てのビルを建築し、その一階を駐車場とし、二階を控訴人瑞商が、三階を控訴人泰明製薬がそれぞれ使用し、控訴人瑞商は医薬品、工業薬品及び鋼材販売の営業を行う予定であり、控訴人泰明製薬は医薬品の販売を行う予定であること、その四ないし六階は貸室とし、七、八階は住居とする等の計画を明らかにした書面を前記借地非訟事件の裁判所に提出したこと(なお、昭和五〇年四月に控訴人瑞商の目的を、前掲のものに不動産の売買及び賃貸並びに管理を追加して変更する旨の登記がなされた。)、その後、控訴人白土の健康状態は通院を続けながらも徐々に回復に向かつたので控訴人瑞商は、昭和四九年二月旭硝子株式会社との間に同社の製品であるアサヒガード(スプレイ)という化学薬品についての販売代理店契約を締結し、遅くとも同年九月以降、同社の子会社である旭ファイバーグラス株式会社又は販売総代理店である明成化学工業株式会社東京出張所からアサヒガードを仕入れてこれを他に販売し、その後、遅くとも昭和五一年六月以降アサヒガードのほかに旭硝子株式会社の製品であるグラスメート(ガラスクリーナー)、フロストップ(曇り止め)及び明成化学工業株式会社の製品であるハイソープ(中性洗剤)等の化学薬品も商品として取り扱うようになり(以上の取引のほとんど大部分は、控訴人白土において注文主から注文をとつた品物をメーカーから直接に注文主に送つてもらう方法によつたものであつて、本件建物で店頭販売したものは極めて僅少であつた。)、又その間若干の鋼材取引(鋼材を第一次問屋から仕入れて注文主に販売する取引であるが、控訴人白土において注文をとつた品物を問屋から直接に注文主に届けてもらうものであつて、本件建物を商品の倉庫に用いたわけではない。)もしたが、以上の取引は控訴人白土が妻の手を借りて二人でこれに当たつたものであつて、取引高は、月商高々数十万円にすぎず、少なくとも本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時までは、法人税を納付するだけの年収入を挙げていなかつたこと、他方、被控訴人らが昭和四七年一一月一五日に控訴人らを相手方として本件訴訟を提起し前記借地非訟事件につき手続中止決定を得たことは前述のとおりであるが、控訴人白土は、本件原審口頭弁論終結の日(それが昭和五〇年四月二四日であることは、記録上明らかである。)の四日前の昭和五〇年四月二〇日にその妻と共に目黒区東山の住居から本件建物に転居して来て、じ来本件建物に居住していること、他方控訴人白土の長男白土昌一(昭和二四年一〇月一四日生)は、昭和四七年三月に大学を卒業し、同年八月から昭和五〇年三月まで兼松樹脂株式会社に勤務し、同年四月より株式会社田辺商店に勤務していた者であるが、昭和五一年四月末日限り同社を退社して、同年五月一日控訴人瑞商に唯一人の従業員として入社し、病弱の控訴人白土を助けて、又は同控訴人に代わつて控訴人瑞商の経営に当たることになり、同年八月二八日に、その妻と共に都内大田区鵜の木三丁目にあつた従前の住居から、本件建物に転居して来て、じ来控訴人白土夫婦と共に本件建物に居住していること(なお、昭和五一年九月二四日に長男誕生)、白土昌一は、従前の勤務先の関係で、控訴人瑞商の営業として、樹脂関係品及びポリエチレン袋等を取り扱うことも考えていたものであり、控訴人白土としては、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において前記借地非訟事件で借地条件変更の裁判を得て本件土地に計画のビルを建築するまでは、白土昌一と共に前記のような化学薬品、樹脂関係品、ポリエチレン袋等の商品を取り扱うこととし、新聞に従業員募集広告などもして控訴人瑞商の営業の充実を期していたものであり、また、右時点においても依然として休業中であつた控訴人泰明製薬についても、前記借地非訟事件で借地条件変更の裁判を得て本件土地に計画のビルを建築したうえで川口市上青木町の後記の更地に新たに薬剤製造工場を建築することを予定し、それまでは控訴人泰明製薬による薬剤の製造販売はしないことにしていたものであること、ちなみに控訴人泰明製薬は昭和五二年夏ころから川口市上青木町の工場で中性洗剤(商品名ニューホープ)を製造するようになり、これを控訴人瑞商が販売していること、以上の事実が認められる。以上の認定を左右すべき証拠はない。

ところで以上認定したところによれば、控訴人白土の向後における、控訴人瑞商による医薬品販売又は貸室営業及び控訴人泰明製薬による医薬品の製造販売営業は、控訴人白土が前記借地非訟事件において前述の借地条件変更の裁判を得て本件土地上に計画のビルが建築できることを前提とするもののところ、前述の借地条件変更の裁判は、本件における前認定の事実関係のもとでは、本件土地賃貸借契約における前示残存期間満了に際しての被控訴人らの更新拒絶に正当の事由が認められないのでない限り、すなわち右契約が更新されることにならない限り、得られないこと明らかであるから、結局において、控訴人瑞商及び同泰明製薬による右営業は、被控訴人らの更新拒絶に正当事由が否定されることを前提とするものであり、従つてこれを右正当事由の存否判定のための控訴人自土による本件土地継続使用の必要性の判断資料とすることはできないものといわなければならない。それゆえ控訴人白土が控訴人瑞商及び同泰明製薬の営業のための本件土地継続使用の必要性としては、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の際に、控訴人瑞商が前記の化学薬品や鋼材の販売を前述のごとき取引形態で小規模に営んでいたこと、本件建物を改築しないままさらに樹脂関係品とかポリエチレン袋等も商品として取り扱つて営業の拡充を期していたこと、控訴人泰明製薬は長年にわたつて休業していたことのみを前提としてこれを考察すれば足りるものといわざるを得ない。

ⅱ 控訴人白土の資産について

(ⅰ) 控訴人白土が川口市上青木町に、イ及びロの土地並びにハの建物を所有することは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、イの土地三三三平方メートルは、控訴人白土が昭和三八年に購入したものであつて、現況宅地の更地であり、いつでも建物の建築が可能な状態にあるが、控訴人白土は、前記借地非訟事件において借地条件変更の裁判を得て、本件土地上に計画の建物を建築することができるようになつた暁に、イの土地に四階建ての各階一〇〇坪で延べ四〇〇坪の工場兼事務所、倉庫を建築するつもりでいること、イの土地の隣りの長男白土昌一名義で購入したロの土地は、ハの建物の敷地であり、ハの建物のうち工場部分は、かつて控訴人泰明製薬が製剤工場として使用していたものであるが、昭和四一、二年以降稼働していないこと(本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了後の昭和五二年夏ころから、控訴人泰明製薬が右工場部分で中性洗剤を製造していることは前述のとおりである。)、ハの建物のうち事務所兼居宅部分も長らく空き家のまま放置されていたが、昭和五〇年三月二八日以降、控訴人白土の長女である海野実智代とその夫の海野汎司らの一家がこれに居住していること、以上のことが認められ、これに反する証拠はない。

(ⅱ) 原審における控訴人白土本人尋問の結果によれば、控訴人白土は、前記イ、ロ、ハの不動産及び本件建物のほかに、株券、社債、債権等の有価証券及び預金を計一億円近く有していることが認められる。当審(第一回)における控訴人白土本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、措信しない。

〈証拠判断略〉

なお、資産としての本件建物の価値は、控訴人白土が借地法第四条第二項により被控訴人らに対して買取請求権を行使したとした場合の本件建物の時価による被控訴人らの買取代金額で示されることになるが、本件建物の構造、大きさ、建築以来の経過年数のほかに本件建物の場所的利益もある程度考慮に入れて右時価を算定するとすれば、それは、少なくとも、被控訴人らが本訴において控訴人白土に対し、立退料として提供することを申し出ている金六〇〇万円を下ることはないものと思料される。

ⅲ 川以上認定したところによれば、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において、控訴人白土は、自己及びその家族の住居として、またその営む控訴人瑞商の営業のため、本件土地の継続使用を必要としていたものと認められるのではあるが、控訴人白土が本件原審口頭弁論終結の直前に妻と共に本件建物に転居して来たのは、同控訴人が前記借地非訟事件により借地条件変更の裁判を得て前記のごときビル建築を計画していたこと、同控訴人がそれまでに居住していた場所は都内の住宅地であるのに対し本件建物は都心の商業地域内にあり住宅環境必ずしも良好ではないこと、同控訴人には相当の資産があることに徴すると、専ら、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の際における本件土地についての継続使用の必要性が肯定されるようにするための作為であつたと推認せざるを得ない。また控訴人白土の長男昌一夫妻が前示残存期間満了の少し前に、控訴人瑞商の従業員として、本件建物に転居して来たのは、控訴人白土がそうさせたものと推認されるのであるが、これ亦右同様の理由から、右同様の作為であつたと推認せざるを得ない。〈証拠判断略〉。そして控訴人白土が敢てかかる作為をしたことから見ても、はたまた同控訴人が前述のとおり相当の資産を有することから見ても、同控訴人一家及び白土昌一一家がたとえ本件建物に居住し得なくなつたとしても、同控訴人としては川口市上青木町の前記イの土地に四階建て建物を建築することにより、あるいはその他の方法により、同控訴人一家及び白土昌一一家の転居先を求めることは容易と思われ、転居を余儀なくされることによつて被る苦痛ないし損害はさほどに重大なものとは思われない。また、控訴人瑞商が前記の化学薬品類や鋼材や樹脂関係品やポリエチレン袋等を取扱商品として営業することを前提とする限り、同一場所で同一営業を継続することの利益を別とすれば、日本橋本町における営業が他の場所での営業よりも特に有利であると認むべき証拠はなく、また控訴人白土の資力をもつてすれば、同控訴人が右営業に必要なしかるべき場所に控訴人瑞商の事務所として、本件建物のうち、同控訴人が現にその事務所として使用している部分すなわち本件建物一階部分程度の広さの建物又は部屋を借りることは、さほどに困難ではないものと考えられる。

(3) 被控訴人らと控訴人白土との間には、本件土地賃貸借契約についての信頼関係が失われているか否かについて

ⅰ 本件土地賃貸借契約の経緯

〈証拠〉を総合すれば、本件土地は、被控訴人ら先代亡儀兵衛が大正一二年に林甲子太郎に対し期間を二〇年と定めて賃貸し、当時甲子太郎において建物を建築したが、同年九月の秋震災により建物が焼失したところから、甲子太郎は昭和三年に至つて新建物を再築し、その際、改めて亡儀兵衛と甲子太郎との間で期間を二〇年とする賃貸借契約が締結されたこと、昭和一四年に甲子太郎が死亡し、その子林澄子がこれを相続し右賃借権を相続したが、昭和二〇年に右建物が戦災により焼失したこと、澄子は戦後も本件土地を借地人として使用してきたが、昭和二二年には控訴人日土がこれに本件建物を建築して居住するようになつたこと、昭和三二年八月、亡儀兵衛が死亡し被控訴人らが相続人として賃貸人の地位を承継してから、被控訴人らと控訴人白土との間に借地権の存否について紛争を生じ、被控訴人らは、昭和三三年に控訴人白土を相手方としてその不法占有を理由として第一次訴訟を提起したところ、控訴人白土は、昭和二一年八月に前記澄子から賃借権の譲渡を受け、これにつき亡儀兵衛の承諾を得た旨主張して争い、被控訴人らは第一、二審に敗訴し、昭和三八年一二月二四日最高裁判所において上告棄却の判決が言い渡されて第一審判決が確定したこと、その後、昭和四一年五月、被控訴人らは東京簡易裁判所に控訴人白土を相手方とする本件建物収去土地明渡しの調停の申立てをしたが、不調に終わつたため、同四二年に被控訴人信が被控訴人らの選定当事者となり、控訴人白土を被告として本人訴訟により第二次訴訟を提起したことがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。そして、右第二次訴訟において昭和四五年七月八日、被控訴人ら主張の条項による本件裁判上和解が成立したこと、その後、昭和四六年一一月に控訴人白土から被控訴人らを相手方として東京地方裁判所に前述の借地条件変更の裁判の申立てがなされ、これによる前記借地非訟事件が係属中に被控訴人らから本訴が提起されたものであることは、さきに判示したとおりである。

ⅱ まず、被控訴人らは、本件裁判上和解によつて定められた賃借権の存続期間は控訴人白土が右約定の期限に必ず本件土地を明け渡すとの趣旨で合意されたものであるという。しかしながら、右の趣旨はもとより和解条項(成立に争いのない乙第一号証)上これを認めることができないだけでなく、〈証拠〉を総合すれば、第一次訴訟の判決において、さきにⅰで認定した経緯により、本件土地賃貸借契約の始期は昭和三年、期間は二〇年の約定であり、罹災都市借地借家臨時処理法の適用によりその存続期間が昭和三一年九月一四日までとなつたところ、その満了の際法定更新がなされたものと認定されていたところから、右判決確定後の第二次訴訟においても、控訴人白土は、右更新の結果、存続期間の満了日は昭和五一年九月一四日となつた旨の主張をして、昭和四三年一〇月二一日限り期間が満了したとする被控訴人信の主張を争つたこと、右第一次訴訟の判決確定後、被控訴人信は敗訴をやむなしとして控訴人白土に対し契約の存続期間の明確化と賃料の値上げを強く要請したが、控訴人白土との折衝が円滑に行かず、結局前にも認定したように、被控訴人らの申立てによる調停(不調に終わつた。)を経て、第二次訴訟が提起されたこと、第二次訴訟で成立した本件裁判上和解において、前説示のように控訴人白土の普通建物の所有を目的とする賃借権の存在が確認され、その残存期間が前記のとおり昭和五一年九月一四日と定められたこと、また、和解成立の月からの賃料値上げの合意が成立し、それ以前の分についても清算がなされたこと(本件裁判上和解で控訴人白土から被控訴人らに支払うものとして合意された一五万円の金員の性質については従前賃料の差額清算であるか、示談金であるかに争いがあるが、被控訴人らの主張は積算の基礎に重点をおくのに対し、控訴人らの主張はその効果に重点をおくものであつて、前示第一号証によれば控訴人白土と被控訴人信とは本件裁判上和解の和解条項第九項において、本和解条項に定めるほかは相互に他に債務のないことを確認しているのであるから、その点は、いずれにしても本件の判断には影響がない。)が認められる。右に認定した経緯からするならば、本件裁判上和解の和解条項に定められた賃貸期限は第一次訴訟の判決の認定を尊重し、これを前提として法律上正当とされる存続期間の満了期を確認したものと認めるのが相当であり、実際上の問題としても、本件裁判上和解の際、控訴人白土が本件土地の明渡しを約した事実を認めるに足りないから、被控訴人らにおいて期限到来により明渡しを受けられるものと速断したとしても、直接にこれを正当事由の存否の判断に斟酌することはできない。

ⅲ 次に、被控訴人らは、控訴人白土が本件裁判上和解成立後一年余にして期間満了を五年後に控えながら借地条件変更の申立てをしたことをもつて信頼関係を失わせる事情に挙げる。しかしながら、控訴人白土が本件裁判上和解成立当時から堅固な建物を建築する計画を持つていたとしても、ⅱの事情のもとにおいては、同控訴人のした申立ては借地人としてなしうべき当然の権利の行使に外ならないから、斟酌の対象となしえない。

ⅳ また、第一次訴訟の判決確定後に、被控訴人らにおいて借地条件の明確化と地代増額を申し入れた際、控訴人白土においてこれに応ぜず、警察官を呼び追い返す態度に出たとの点についても、原審(第二回)における被控訴人信本人尋問の結果によれば、昭和三九年一、二月頃控訴人白土の自宅で、また同年五、六月頃本件建物で、右の交渉がなされたが、双方の態度が冷静を欠き交渉が円滑に行かず、いずれの場合にも控訴人白土側の依頼で現場に来た警察官に説得されて被控訴人信ないしその同伴者が現場を引き揚げた事実を認めることができるが、いずれも第二次訴訟における本件裁判上和解成立前の事件であり、しかも、原審証人安達幸衛の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人白土側に非があつたわけでないことを認めることができるから、右事実もまた信頼関係を喪失する事情として斟酌するに足りないというべきである。なお、被控訴人らは、本件裁判上和解の成立前に、控訴人白土が公租にも足りない低額の賃料を供託したにとどまつたことが賃借人としての誠実さを欠くものとして非難するが、これまた本件裁判上和解成立前の事実であり、これはむしろ被控訴人らが本件土地賃貸借契約の存在を争つて賃料の増額を求めなかつたことの結果と認められ、反面、本件裁判上和解成立後には賃料の支払いにつき紛争があつたことを認めるに足りる証拠はないから、この点もまた右と同断であるといわなければならない

ⅴ 以上のとおりであつて、客観的に見ると、被控訴人らと控訴人白土との間には、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時点において、信頼関係が破壊されていたものということはできない。しかし、本件土地賃貸借契約をめぐる、長年にわたる控訴人白土との間の累次の訴訟その他の抗争により、被控訴人らが同控訴人に対して根強い不信感を抱いていたことは、前認定の事実関係より見て、これを否定し得ない。

(4) 以上のとおり、本件土地賃貸借契約の前示残存期間満了の時に、被控訴人らは自ら本件土地を使用することを必要としていたものであり、他方、控訴人白土も亦本件土地の継続使用を必要としていたものであるが、以上説示したところによれば、賃貸人たる被控訴人らが本件土地の使用を必要とした度合い、その緊急性、これを使用することができないことにより被る不利益は、賃借人である控訴人白土が本件土地の継続使用を必要とした度合い、その緊急性、これを継続使用することができなくなることによつて被る不利益よりも相対的に見て大きかつたものと認めるを相当とするので、被控訴人らが控訴人白土の更新請求を拒絶したことについては、正当の事由があつたものといわなければならない。

(三)  よつて控訴人らの抗弁2(法定更新の主張)は、失当である。

三以上のとおりであつて、被控訴人らの当審での訴え変更後の請求は、いずれも理由があるのでこれを正当として認容することとし、当審における訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条第一項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。

(林信一 宮崎富哉 高野耕一)

物件目録〈省略〉

被控訴人ら所有不動産目録〈省略〉

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